前 真之(まえ まさゆき)
東京大学大学院 工学系研究科 建築学専攻 准教授 博士(工学)一級建築士
我々日本人は、戦後のモノがない時代から無い無い尽くしの中、限られた資源や条件の中で、何とか智恵を絞って工夫して、今日の発展を築き上げてきました。そこには日本人の国民性ともいうべき勤勉さや、我慢や辛抱、それにもったいないという考えなどが根底にあったように思います。
しかし現代の日本において、特に日々の生活に関してはもうこれ以上の我慢は必要無いというのが私の考えです。我々は快適な暮らしに対して、もっと貪欲になるべきなのです。
本来「家」というのはあくまでも生活するための“器”であって、人々が快適に暮らすための手段の一つに過ぎないのです。基本にあるのは暮らし、それも快適な暮らしです。それを追求していくと、自ずと良い器の形が見えてくるでしょう。その噐が、その人たちにとっての良い住まいということになるのではないでしょうか。
実はそのことに対する議論を、私たちはこれまであまりしてきませんでした。
良い暮らしとは何か?そのためにはどういう住まいが理想なのか?そういった議論が、我々日本人にはまだまだ足りていないのです。
例えば、これまで家を建てるときには、ハウスメーカーや工務店から提供されるある程度の選択肢の中から、間取りやデザイン、それに予算などに応じて選んでいく人がほとんどだったと思うのです。しかしそこに抜けていたのは、その家でどういう生活をしたいのかという思い。
「どんな暮らしがしたいのか」がなければ、自分たちにはどんな家が良いのか分かるはずがないのです。そういった議論もなく、今の自分なら幾らまでのローンが組めるから、その予算内で建てられる家にしようとする。そうなると、良い暮らしをすることではなく、家を建てることの方が目的となってしまいます。もちろん予算は大事ですが、そういった損得勘定だけではなく、まずはどういった暮らしをしたいのかということを真剣に考え、ご家族でじっくりと議論すべきなのです。
そういう人はまず、どういった暮らしをしたいのかを考えてみてください。より良い住まいを手に入れるためには、ライフスタイルに関する自分自身の価値観を磨くことが大事です。
そしてある程度の理想像が固まってきたら、次にそれを具現化するためにはどういった住まいが良いのかということをじっくりと考えてください。IT全盛の今の世の中、住まいに限らず必要な情報を得るための手段はたくさんあります。但し情報や知識にはバランスが大事です。偏った情報に惑わされることのないよう、周囲の人々に経験談などを聞いてみるのも良いでしょう。身近な人のベストプラクティスに勝るものは無いですからね。
知れば知るほど、学べば学ぶほど、より良い暮らし=より良い住まいを手に入れる可能性は大きくなります。
一言で「価値観」といっても、それはあくまでも個人に依るものですから、当然家族それぞれが異なった価値観を持っています。だから、家族間でのある程度の価値観の共有は必要になりますね。また年齢や環境に応じて、個人の価値観自体も移り変わっていくものだと思うのです。
今現在はこう考えていても、年を重ねたり子供が生まれたり、親が年を取ったりすることで、価値観というものはどんどん変わっていきます。だから価値観にも想像力が必要だと思うのです。
数年先、数十年先を想像して、その時に自分はどうなっているか、どんな暮らしを送っていたいのかを考えたうえで、「家」というものを選べれば良いですね。
人々の「より良い生活を求める」という考えが社会に浸透しないと、この国の住宅事情はこれ以上良くならないと思います。
少子高齢化がますます深刻になりつつある社会ですから、高度成長期のように、とにかくどんどん建てるという時代ではありません。土地ありき、家ありきで考えるのでは無く、暮らしそのものを体系的に考える「住まい学」という考え方があっても良いのではないでしょうか。
時代の変化に応じて、人々のライフスタイルも多様化しつつある中、一つの価値観ではなく、多様な価値観にも応えられる住まいが求められます。国の住宅施策や建築業界も、そういった考え方に基づいて、人々により良い住まいの提案をしてもらえればと思います。
昭和50年広島県生まれ。平成10年東京大学工学部建築学科卒業。平成15年東京大学大学院 博士課程修了、平成16年建築研究所など を経て、同年10月、29歳で東京大学大学院工学系研究科客員助教授に就任。平成20年より現職。建築環境を専門 にし、住宅の エネルギーに関する幅広い研究に携わる。暖房や給湯にエネルギーを使わない無暖房・無給湯住宅の開発にも注力している。