ケイコンドウ陶芸家
茨城県笠間市を拠点に活動する、陶芸家のKeicondo氏。母なる大地を想わせるような温かみのある色遣いと、シンプルにして繊細、普遍的かつモダンなフォルムを特徴とし、国内外の名立たる料理人たちから「料理を映えさせる器」のつくり手として支持を得ている。そんな陶芸家がG:LINEをどう評価するのか、笠間のアトリエでお話を伺った。
僕は茨城県窯業指導所(現・茨城県立笠間陶芸大学校)で陶芸を学んだ後、南米ボリビアで陶芸指導に従事していた時期がありました。その時に見た、赤茶けた大地の上で、カラフルな民族衣装を着て踊る人たちの姿が深く記憶に残ったのです。
帰国後に陶芸家として独立し、ボリビアの大地の色を思い出しながら作陶していたら、ある料理家の方が「君の黄色い器に緑や赤の野菜を載せると、すごく美味しそうに映えるんだよ」といってくれました。それを聞いて、目から鱗というか、腑に落ちるような想いがありました。ひょっとすると、器と料理の関係性というのは、あの時ボリビアで見たような、鮮やかな民族衣装が大地を背景に映えていたのと同じことなのでは――と、そう気づかされたのです。
僕にとっては、形ありきの色。まず形があって、色はスパイス的な感覚で捉えています。僕の陶芸は、わりと色で注目されているようなのですが、初めに美しい形がなければ、作品として成り立たないと考えます。
例えば、海外に行くとワンプレートで出される料理がありますよね。見た目にも素敵だし、食べるのにも楽だったので、自分でもつくってみようと思いました。まずは見た目の美しさから考えるのですが、どんな料理をどう食べるかを考えていくと「スプーンを載せたい」とか「もっと深くしたい」といった要望が出てきて、形のバリエーションが増えていきました。
機能性はとても重要なので、そこからは料理家の意見も非常に参考になりました。例えば、リム(縁)を広くすることで器の中心に目がいくようになり、料理がより映えると教えてもらいました。使い手である料理家さんの意見はとても重要で、そう思うと、自分一人では形にできなかった器というのがたくさんありますね。
独立した頃は、確かに自我を前面に出す作品が多かったかもしれませんが、プロの意見を聞き、プロの器の使い方を学ぶと、次第に違う器の形が思い浮かぶようになってきて、それが自分でも面白く感じられたのです。これからは「食のための器」をつくっていこうと思いました。
もちろん、花を生ける人には花を美しく生けられるような器をつくろうという具合に、他の分野でも同じことです。最初は自分のつくりたいものから始めたけれど、僕の器を喜んで使ってくれる人にもっと喜んでもらうためにはどうすればいいのかを、より考えるようになりました。
ごとくを触ってみると、エッジに微妙な丸みがあり、見た目の優雅さだけでなく、十分な強度がありそうで、長く大切に使えそうでした。デザイン性もこれまで以上に重視しながら、使う側のことを考える姿勢がしっかりしていて、共感できると思いました。
さらに、アナログなボタンやツマミといった無駄なパーツを省いたのは、機能的観点からも、美的観点からも、素晴らしい価値のあることだと思いました。陶芸にも大いに通じるものがあります。
それは驚きですね。プロの料理家から、強い火力で美味しさを一瞬で封じ込める作業がとても大切だと教わったことがあります。家庭でもできたらいいなと思っていました。
これまでよりも、料理家に近い目線でキッチンに立つのではないでしょうか。これまで、火力の違いまでは意識していなかったのですが、G:LINEならその強力な火力にインスパイアされて、もっと料理をつくるようになりそうですね。G:LINEも黒ですが、うちのワークショップスタジオのテーブルも黒なので、コントラストがはっきりした、引き締まった空間になると思います。そこにどんな器を並べるか――、なんだか想像するだけで楽しみになってきますね。
「食ありきの食器、花ありきの花器、酒ありきの酒器」でしょうか。器が表に出過ぎないように、あくまで引き立てるための土台や背景となるように、その上に載せるもの、中に入れるものが美しく映えるように意識してつくっています。ものだけで完成するという考えは、あまり好きではありません。チャレンジし続けているので失敗も多いけれど、失敗するからこそ新たな工夫が生まれると思っています。その工夫を重ねていくことで、いつか自分なりの合格点のレベルまで持っていけたら嬉しいですね。そのためにも、自分が口癖のようにいっている言葉は「工夫」かもしれません。
1981年、茨城県笠間市の陶芸家の家に生まれる。茨城県窯業指導所(現・茨城県立笠間陶芸大学校)で、陶芸を学ぶ。卒業後にJICA海外協力隊に参加し、南米ボリビアで陶芸指導を行う。帰国後、28歳で独立。noma Kyotoや星野リゾートなど世界中のレストラン・ホテルで作品が採用されている。